[プロフィール]

少年時代:闘病の経験から「不安のない社会」を願う

少年野球

 花上喜代志は、終戦後の昭和21年神奈川県に生まれました。少年時代は長島茂雄選手にあこがれる野球少年で、明けても暮れても野球に没頭していました。

 こうした日々を送るうち、人生に重大な試練がもち上がりました。小学生時代の敗血症がもとで骨髄炎にかかり、2度の大手術を行ったのです。生死の境をさまようほどの病魔との闘いを通して「健康で不安のない社会」を願う今日の花上喜代志の人生観が築かれていったのです。



学生時代:働きながら勉学に励み、全日本大学弁論大会で優勝

雄弁大会

 やがて横浜一商(現横浜商大高)から専修大学へ進学、この間、新聞配達、家庭教師、運送助手、電柱工事などあらゆるアルバイトをしながら学業にいそしみました。

 政治家への道を本格的に目指す決心を固めたのは大学時代です。「正直者がバカを見ない社会をつくろう!」と政治の道を決心した花上喜代志は雄弁会に入りました。

 弁論をみがき大学4年生の時、全日本大学弁論大会でみごと優勝。また、自治会の執行部に当選、学園の民主化に努めました。


青年時代:「正直者がバカを見ない社会」めざし横浜市議に立候補

少年野球

 卒業後、「正直者がバカを見ない社会」をつくるため、政治活動に専心。持ち前の正義感とエネルギッシュな行動力はたちまち周囲に認められ、熱心な友人たちの勧めで、昭和50年の横浜市議選に28歳で立候補しましたが惜敗。4年後の選挙で市会議員に。


初当選後:防災対策に党派の争いを超えて取り組む

 議会では、超党派の1年生議員6名を集め、防災研究会を結成するなど、市政に新風を巻き起こし、その後、11期連続当選を果たしました。ハッキリ物が言える、しかも現場第一主義に徹した活動は「熱血行動派」と評されています。


地域との絆:身近な議員として、市政情報を区民に報告

 地域では、身近で頼りになる議員として区民の相談相手として駆け巡る一方、早朝議会報告会や、「かわら版瀬谷」や「タウンニュース」で市政レポートを発行、瀬谷区民の厚い信頼を得ています。


家族・趣味:スポーツマン議員、家庭では4人家族の父

スポーツマン議員

 趣味は、野球、スキー(1級)、水泳が大好きで、時に少林寺拳法(四段)の道場に通っています。

 また、似顔絵も結構上手です。

 特に好きな食べ物は、カレーライスとおそばにラーメン。

 家族は、新潟県出身の奥さんと子供2人です。



【略歴】

昭和21年 11月25日、神奈川県に生まれる

昭和40年 横浜第一商業高校(現横浜商大高校)卒

昭和44年 専修大学法学部卒業

昭和50年 横浜市会議員選挙に立候補、6,158票で惜敗

昭和54年     〃   初当選、以来11期連続当選