他都市に比べ横浜市の病院のベッド数が少なく、市民に「万が一病気になったら」という不安がありました。
そこで、医療体制の整備を議会で取り上げ、聖マリアンナ医科大学と横浜市が協力して「横浜市西部病院」という名称の地域中核病院を建設しました。
医療担当議員として完成に尽力し、竣工祝賀会の日には「感慨無量の心境」でした。
横浜では保育園に入りたくても入れない待機児問題が深刻でした。
そこで、私が横浜市児童福祉審議会の委員長の時「緊急保育5ヵ年計画」をまとめ、当時の高秀市長に答申しました。市有地の無償貸与、横浜型保育室などユニークな提言は、その後実行され、林市長の強力な支援策もあって待機児ゼロを達成し、私は現在2つの保育園の理事として運営に携わっています。
横浜市福祉衛生常任委員長として私は特に高齢者介護政策の充実に取組みました。私自身、老人ホームの役員でもあり、高齢者福祉の深刻な状況を認識していましたので、介護保険法の精神を市政に生かすべく、老人ホームやケアプラザ、老健施設、グループホーム、在宅サービスなど、多元的な対策に取り組みました。
私の議会初質問の一つが、障害者問題でした。ノーマライゼーションの考えに立って、差別のない社会、バリアフリー化や自立促進をめざし、地域作業所、福祉ホーム、中途障害者対策などに取組んできました。
平成18年には市障連の皆さんと共に、障害者施設の充実をめざし、前田副市長に陳情書を提出しました。
また、平成18年10月の決算委員会では、中田市長に障害者自立支援法の不備を市政が積極的に補うよう求めました。